模擬国連という活動は知識を得るにはありえないぐらい非効率な方法をとります。
知識の伝達は言葉を通じて直接的に行えばもっと簡単に行えるので、知識を得る事を目的とするならば、他の活動に参加した方が効率的でしょう。
でも、僕は先輩や同期、そして後輩の模擬国連の仲間と話すうちに、模擬国連の目的は知識を得る事ではないと思うようになりました。
知識を得るのでは前述した通り、直接的な方法をとるべきだし、シミュレーションという方法をとる必要は無いのだから・・・
では模擬国連の目的はなんなんでしょう?
僕は参加者がシミュレーションを通して国際関係を直に感じる事だと思う。
また参加者が担当国を演じる事を通して、自分の帰属するアイデンティティから解放され、異なる文脈上にいる第三者の立場を感じる事が出来、また交渉の中で担当国と交渉相手国のさらなるGAPを感じる事が出来るんだと思う。
この一連の流れは、世界の多様性と国際政治を感じる上でとても重要なアプローチであると思う。
直接的に知識を伝えられるよりも、自分で状況を調査し、考えて、そして活動の中から感じる、その能動的作業にこそこの活動の意義があるのではないだろうか。
僕は模擬国連会議で相手の議論を打ち負かしたり、交渉術を使い会議を支配する事は得意ではないけれども、その能動的な思考のアプローチ、しいて言えば第三者の状況に想像力を働かせて、彼らの立場になりきり、政策を創造的に発展させていく、この一連の流れが好きなのだろう。
さて、こうした模擬国連活動で大事なプレイヤーは会議監督である。彼ら、彼女らは自らの設定した問題意識の元、設定会議を選び、会議の設計をし、設定国を選び出し、議題解説書の編成を決めていく。
そのプロセスは考慮に考慮を重ねたモノであるべきであり、会議監督の会議に対する思い入れはなみなみならないはずである。
そうそこには会議監督の問題意識があるのだと思う。
よって会議を催すという事は、簡単に行うべきではないだろう。
そこには何らかの問題意識が無ければならない。
ただし、僕はどんな会議であれ、何かしら学び取れるモノがある事も承知しています。僕が参加してきた40数回の会議、その一つ一つはかけがいのないモノであり、その経験は模擬国連だけでなく、日常の生活にもプラスに働いてきました。
会議の質、特にその会議の研究分野への探求心、これは模擬国連の理念とも言えるモノでしょう。そして、国際関係を考える機会の提供、これは模擬国連の目的でしょう。そのバランスを如何にしてとっていくかこれが求められているのではないかと思います。