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La Patata Dolce



クロアチアに難民センターを作った人

元外務省、UNスタッフであり、現在NGOの代表をしている松元さんをお招きして学習院女子大学でお話を伺いました。

松元さんを囲む会
日程 2009年4月17日
時間 13:00-
場所 学習院女子大学

<<講演>>
*中島先生からのイントロダクション
松元さんは外務省、国連、UNHCRなどでと勤められた後、NPO関係に関わっている。

☆クロアチア難民センター
94年から95年にかけて、730万ドルで作った。
この背景には湾岸戦争時に、国際社会から貢献を認めてもらえなかったことから、人道支援としてほかの国々にまけてはならないと支援を開始した。
当時、松元さんはイラクから帰国し、アフリカ派遣に向け休養をとっていた。そこに外務省からクロアチアに行ってほしいという連絡があった。
建設が始まっても戦争が続いていたので、大変だった。クロアチアとセルビアの戦争で影響があった。セルビア軍の勢力から8キロしか離れていなかった。
一番の問題は盗難であった。機材が盗まれて大変だった。UNHCRが有刺鉄線を供給してくれてなんとかなった。
難民センターにはボスニア・ヘルツェゴビナからの難民が主体だと考えられていたが、クロアチア政府はブコバルなど国内避難民を入居させたがっていた。(日本政府としては難民を主体としたかった。)交渉の後、難民と国内避難民の半々で落ち着いた。
センターの場所は沼地に立てた。なぜ沼地にしたのかといえば、クロアチア政府は難民センターをセルビア側とのバッファゾーン(緩衝地帯)にしたいと思っていた。そこで仕方なく、マルゴリッツァ村の沼地に作ることになった。JICAの測量によれば、住宅地の建設は可能という結果になっていた。

☆メディアと難民センター
難民センター運営で一番大変なのはメディアとの関係であった。
メディアがバッシングを始めれば、ひとたまりもない。ただ当時は明石康さんがボスニア内戦の解決にあたっていたので、そちらにメディアを流すようにした。対メディア戦略は十分に気をつけなければならない。
日本はいかにフィージビリティを魅せるかが重要。
*実行可能性、実現可能性

☆セルビア南部でのワークショップ
セルビア南部で子ども達に対して平和学に関するワークショップを行っていた。子ども達に平和とは何かを考えてもらうことは重要。
現在は紛争予防センターとタイアップで共同プロジェクトをやっている。

☆人道支援活動で必要なもの
体力
意欲
少しばかりのお金
*チャップリンは人生で必要なものは愛、体力、少しばかりのお金
今の日本のNGOはライフワークとして働けるだけの支援が政府からない。食っていけない。日本社会は人道活動に対してもっと支援を行うべきである。

☆契機としてのボートピープル
70年代にベトナムからのボート難民が契機としてNGOが出てきた。ただ当時のNGOは欧米に比べて弱かった。
清算払いから概算払いにかわったこともバルカンでの活動を推進した。
*先に外務省からお金をもらえるようになった。それまでは自己資金から拠出するため活動に限界があった。
また理事の連帯責任承諾書が必要なくなった。それは理事などを務めていた政治家が嫌がり、そういう改正になった。NGOとしては手続きが簡素化してよかったが、社会としては・・・
政府としても自衛隊を派遣して死亡した場合は政府への打撃となるが、NGOの場合は自己責任に基づいていて派遣できるので、その後押しを政府は行った。
国際協力を行っていく上ではLegibilityをもってもらいたい。

☆国連職員
日本人職員は部長クラスには3名しかいない。かつては10数名いた。
人的貢献よりも財政的な貢献の方が楽だから、国連分担金を負担していった。
60年代では、分担比率は6%であっても、自発的に7%、6%と払い高額になっていった。
ぜひ機会があればUN職員になることを考えて頂きたい。

☆分担金とNGO
もし国連に分担金を払っても効果が低いならNGOに支援してもいいのでは?
安保理にも席がなく、国連分担金を高額拠出する意義を考え直してもいいのでは?

☆評価される国際貢献
人的貢献をしっかりと行うカナダのような姿勢を貫けば、ODAが減少しても国際的には評価されるのでは?

☆中国の海外支援
とても商業的。ODAが見返りをみて行っている。日本の場合は人徳主義。「魚をあげるのではなく、釣り方を教える。」発展の基礎を教える。
中国の場合は自分達ばっかりで行ってしまう。技術者、労働者を派遣し、作ってしまう。またそうした人々に残留希望を聞き、華僑となって中国外交の支えになっている。
*またインド人や韓国人も戦略的に渡航をしている。
*日本人は不帰国子女が多い。それはそれでいいが、日本人も移民として海外に出て行ってほしい。

☆他者文化と日本人、医療
日本は能率がいい規則正しい社会のため、海外では違和感を感じてしまう。
医療施設は日本がとてもいいのでは、年老いてくると、帰国してしまう。

☆まとめ
日本のNGOは30年、40年前に馬鹿にされていたが、現在は欧米に負けずにがんばっている。
同じ気持ちで道を切り開いていってほしい。
クロアチア難民センターでは学習院の影響で、北海道や文教大学からの参加もある。その中で何ができるかを考えれば、以下の三点を考えることが重要。
1. プラクティス
→現場経験を得る場として・・・
2. 国際性をもつ人々を育てる
→国際協力だけでなく、様々な分野で求められている感覚
3. リーダーシップ
→リーダーシップを発揮できる場所を作る必要がある。なかなかリーダーシップを発揮できる人が少ない。日本社会では献上文化があるが、グローバルではリーダーシップが必要。
*議論の際にはより広い間隔で話す必要がある。地方を越えて国、国を超えて地域、地域を越えて全地球・・・
*また時間軸も短期、中期、長期の視点で考える必要がある。
*一段、二段、三段上をみて議論すれば必ず正当性が得られるだろう。
三つの分野を大学と組んで盛り上げていきたい。


<<質疑応答>>
Q.ユーゴ内戦当時、NATOとUNが協力体制をひいていたと思いますが、(明石さんが総司令官)現地の草の根で活動する際にこうした複雑な状況では情報を得ることは難しかったと思いますが、どのようにして情報を得ていたのか?
A.時間切れで質問出来ず。

Q.難民問題の恒久的解決は帰還、避難国定住、もしくは第三国定住だと思うのですが、帰国はやはり難しいのでしょうか?
A.時間切れで質問出来ず。

Q.難民センターに伺った際にせんターン取り壊しの話を聞いたんですが、どうなるんでしょうか?
A.クロアチアは今、お金持ちの国。だからそうした話も出てくる。個人的には区画を分けて販売すればいいのではないのだろうか?

メモ
評価を受けるためには可視化をしなければ難しい。
物品の場合は国旗をつければわかりやすいが、建物の場合はすぐに壊されたりするので本当に支援をしたか難しい。
by smile-and-happy | 2009-04-16 14:29 | 記録
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